今更ながら、「三原勇希×田中宗一郎 POP LIFE」スピッツ回について
大分前に書き溜めていた記事、今さらだけど投稿します…。
配信されてすぐ書いたので、そういう時系列で読んでください。
SpotifyのPodcast「三原勇希×田中宗一郎 POP LIFE」の♯155 と♯156 はスピッツ回~!
いつかやってくれないかなってずーっと思ってたので嬉しい。
かつてロッキングオンジャパンで、ブレイクちょっと前くらいまでのスピッツの担当をされていた田中宗一郎さん通称タナソー氏がスピッツについて語ってます。
podcastの中でもちらっと話に出てきた「SNOOZER」持ってる(トムヨークの緑色の表紙のやつ)!!
確かリマスター盤の『名前をつけてやる』のアルバムレビューもタナソー氏が書いていたと思う。
こう、言い方に迷うんだけど、はまる人はめちゃくちゃはまるって感じの文章を書く方。好きかどうかはぜひPOP LIFEを聴いたりしてご自身で判断してほしい。
個人的には共感できるかどうかは別として、このpodcastは興味ある話題の時は割と聴いてる(山崎洋一郎さんがゲストだった時のとか面白かった)。
前置きが長くなってしまった。
POP LIFEのこのゲスト配置は結構いい塩梅になっていて、こんな感じ↓。
- タナソーさん:ブレイク前までのスピッツに詳しい、初期3枚絶賛派
- 三原勇希ちゃん:有名な曲は知っている。一般的な認知具合の人
- 伏見さん:最近のスピッツの事まで網羅して詳しい、スピッツファン
- 有泉さん:雑誌の編集長、業界でのスピッツの立ち位置やスタンスを語れる人
認知のレベル観が4者4様で絶妙だなあと思った。
いろいろ気になるポイントがあったのだけれど、個人的に興味があったのはタナソー氏が亀田誠治プロデュースになってからスピッツから離れてしまったと話していたこと。
これ、私はスピッツから結果的に離れなかったけれど、ちょっと「わかる」っていう気持ちになった。
アルバムでいえば2002年リリースの『三日月ロック』からが亀田誠司さんプロデュース。『三日月ロック』ってファンから割と人気のあるアルバムの印象だし、今となっては私も普通に聴いている。
でもリリースされた当時感じた違和感は未だに覚えている。
なんというか、音像がそれまでと全然違ってあまりにもクリアで、音の装飾というのだろうかアレンジがよく言えば華やかになっていて驚いてしまったのだ。
その前のアルバムが『隼』で、「ロビンソン」や「チェリー」の大ヒットを経ての葛藤ゆえの変遷というか『隼』のオルタナ路線へ振り切った感じが大好きで最高にかっこいいと思っていたので、その反動もあったのかもしれない。
『隼』のあとまたポップ路線に回帰していくんだろうなあと思っていたし、それはそれで大歓迎だったんだけど、「期待していたのはそっちじゃなかったんだよなあ」って思ったりしたのだった。
曲単体としては「夜を駆ける」なんかは今でも大好きな曲で、聴いた瞬間から名曲だって思った。
でもアルバム全体ではなんだかそれまでのものより入り込めなくて、「もしかしたら私もうスピッツのこと好きじゃなくなったのかも…?」と思ったくらいで。
それは次のアルバム『スーベニア』でもやや続いて(耳が慣れたのか『三日月ロック』よりは入り込めた)、『さざなみCD』からは純粋に楽しめるようになった(よく考えると結構長い…)。
それでも私は結果的にスピッツから離れなかったけれど、そのままあまり聞かなくなったっていうタナソー氏のお話は、「なんかわかる」なって気持ち。
でもそのあまり聞かなくなったタナソー氏が#156の中で、タナソー氏が朝ドラ「なつぞら」の主題歌がスピッツだと聞いて朝ドラを見始めたエピソードや、その主題歌「優しいあの子」のドラムのリズムの変遷を熱く語るところがよかった。
「スピッツがこんなにプロの仕事をするようになったのか」、とさらっと言っていたのが印象的だった。
タナソーチョイスのプレイリストに「タイム・トラベル」入れているところなんかも興味深い。
そしてもうひとつ、MUSICAの有泉さんの「スピッツは名前をあげても恥ずかしくないバンドと思われている」も、これも「なんかわかる」。
大衆に広く知られる曲がありながら大衆に魂は完全に売ってませんよ、的な(言い方が感じ悪くてスミマセン)ところは、スピッツサイドも意識的にやってきた(紅白には出ないとか)ことだったと思う。
でも根本にあるのは、有泉さんが仰ってた「メンバー(特にマサムネさん)が本当に音楽好きで、新しいバンドの曲とかをチェックしている。そしてその批評も適格だ」とか、伏見さんが触れていた「自分たち主催のイベントに若いバンドや歌手を呼ぶ姿勢」とかに見られる、音楽が好き、ロックが好き、バンドが好きという気持ちなのではないか。
そしてバンドを続けるためには売れなくてはいけない、という命題に対して『ロビンソン』は彼らが思っていた以上に売れてしまって、でも本質的にはあまり変わっていないってところ(タナソー氏曰く、衣装を着せられてる感じが未だにあるってやつ)が今の評価に繋がっている気がする。
私は初期3作はリアルタイムで聴いていたわけではないので、それがその当時の音楽シーンの中でどれだけ特異だったかとかいうことはわからなかったけれど、そうしたお話だったり、スピッツの持つ”はぐれ者”精神等についての言及も共感したりしながら聴きました。
寝る前に布団に入って聞いていたんだけれど、お話が面白くて全然寝られなかった。
なんか他の人の発言ばっかり取り上げてしまったけれど、長年のスピッツファンとしては三原勇希ちゃんの反応が嬉しかったな。
この後にスピッツ聞いて聴き方が変わったってなる人がきっといると思う。
考え方はひとそれぞれで良いと思っているけれど、その気づきのきっかけになりそうな番組の内容になっていて楽しかった。
ちなみにタナソーさんと伏見さんが盛り上がっていた、『惑星のかけら』収録の「僕の天使マリ」は私も大好きな曲で、そこだけでも共感度MAXでした。