スピッツの新曲「大好物」を聴いて、吉本ばななのデビュー作「キッチン」の一場面を思い出した。
祖母を失った主人公のみかげに、不思議な縁で同居人となった雄一が問いかけるところ。
「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな」
私は笑って、
「食欲と性欲が同時に満たされるからじゃない?」と言った。
「ちがう、ちがう、ちがう。」
大笑いしながら雄一が言った。
「きっと、家族だからだよ。」
私はみかげの答え(性欲と食欲が同時に満たされる)もある意味正解だと思うし、雄一の答えもまた素晴らしい答えだと思う。
「食べる」という行為は命を繋ぐ行為であると同時に、欲を満たすことにもや親愛の情にも繋がっていると思うから。
スピッツの新曲「大好物」は、よしながふみ原作の漫画「きのう何食べた?」を実写化したドラマの劇場版主題歌として書き下ろされた曲だ。
「きのう何食べた?」はゲイのカップルであるシロさんとケンジの日常を描くお話で、ドラマの各エピソードにはシロさんの作る美味しそうな料理とそれを食べる二人が必ず描かれている。
ゲイであることを隠して弁護士をしているシロさん、ゲイであることをカミングアウトして美容師をしているケンジ。
周りの人の目や、置かれた状況に悩んだりぶつかったりするけれど、シロさんの作る料理をおいしく食べて、二人が「ごちそうさまでした」と言って食事を終える。
このドラマも「キッチン」のように、「食べる」ことがひとつの象徴になっている。
シロさんとケンジの食べ終わって満たされた「ごちそうさま」というセリフに、視聴者である私もなんだか救われて、あたたかい気持ちになる。
おいしいものを作って食べたからといって、決してすべてが埋まるわけではないけれど、人とは違ったとしても自分なりの幸せのかたちというものに気づかせてくれるようなお話なのだ。
なので、「きのう何食べた?」の劇場版の主題歌をスピッツが担当すると知った時、とてもピッタリだと思った。
人と少し違ってもいいんだよ、なりたかったものになれなくてもいいんだよ、とずっと歌っているスピッツの楽曲に通じていると感じたからだ。
たとえば、「ルキンフォー」
ルキンフォー 珍しい生きかたでもいいよ
誰にも真似できないような
スピッツがバンド自身のことを歌った「1987→」(私はこの曲を聴くといつもぐっときて泣きそうになってしまう)
ヒーローを引き立てる役さ きっとザコキャラのまんまだろう
無慈悲な鏡叩き割って そこに見つけた道
それは今も続いてる 膝をすりむいても
醒めたがらない僕の 妄想が尽きるまで
そして、新曲の「大好物」(歌詞は違ってたらスミマセン)
吸って吐いてやっとみえるでしょ 生からこんがりとグラデーション
日によって違う味にも 未来があった君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち
低く飛ぶ心を 軽くする
うつろなようでほらまだ 幸せのタネは芽ばえてる
もうしばらく手を離さないで
「低く飛ぶ心を 軽くする」っていうのがらしい表現だと感じる。
思っていたのと違ったり、冴えないと思っているような毎日でも変わっていくこともあるよ、と教えてくれている感じ。
ちなみに冒頭に書いた吉本ばななの「キッチン」の続編である「満月-キッチン2」というお話では、ラストの方でみかげが雄一においしいカツ丼を届ける場面がある。
カツ丼はふたりの間をつなぐ信頼や愛情を表している。雄一はどんな気持ちでカツ丼を食べたのだろうかと思い、無性に泣けてしまう。
私がこの本の中で一番大好きなエピソードだ。
そしてスピッツの「大好物」からも同じような感動を受け取っている。
君の大好きなものなら 僕も多分明日には好き
そんなこと言う自分に 笑えてくる
大好物が自分のではなく君の大好物だというところがまたいい。
君が大好きなものだから自分も「明日には」好きになるだろうっていうそのちょっとした時間の描きかたで、ふたりの関係性が見え隠れするところも秀逸だと思う。
演奏面では、弾むようにメロディーを行き来するベースラインが心地よく、大サビの「呪いの歌は小鳥達に彩られてく やわらかく」の盛り上がっていくところのドラムがすばらしい。
スピッツ流の幸せに溢れた曲だと思う。
私もまた「大好物」であるスピッツを聴きながら次のライブやアルバムを待ちたい。